中村さん 追悼 その1

中村さん 追悼

悲しい知らせですね。日本の宝のような人が逝ってしまいました。

中村さんは以前、このように仰っていました。

「当時は(1980年代)、現地でも“ヒロシマ、ナガサキ”という言葉を
知らない人は少なかった。ここでは(アフガニスタン)ずっと戦いが
続いて人々が辟易しているのに、それでも広島・長崎については『あんな
酷いことをされて気の毒だ』という、自分のことのように親密な感情を
持たれていた。そして、それだけ酷い目に遭った、もう戦争は放棄した
国だという、そういうニュアンスで理解されていたと思う。」

事実、紛争地に行くときは、国連旗を立てていくと攻撃されるけど、
日の丸を立てて行くと安全だったという。

しかし、だんだん日の丸を隠さなくてくてはいけなくなったという。

「湾岸戦争です。そのあたりから失望感のようなものが広がっていきました。
当時はそれでも日本はアメリカに騙されているんだという、好意的な解釈を
してもらっていました。それがイラク侵攻あたりからおかしくなってきて、
安倍政権になってから、自分から危ないところに飛び込んでいったような気が
します。」

「・・・・・日本の方から、日米同盟がどうだとか積極的に宣伝されると、
そのたびにこっちは肝が冷える思いで、止めてほしいと思っています。
そういう流れの中で、日本人とて容赦はしないぞという風潮は、いずれ
強くなってくると思います。現地の年寄りの世代には、まだ日本に対する
尊敬というか愛着は残っていますが、次の世代ではもう分からない。」

今回、残念ながら中村さんの予感は、自らが命を落とすという形で当たって
しまいました。日本は、周りの国がこの国をどう見ているかに無頓着すぎる
のではないでしょうか。そして、日本の長所をみずから捨てているように
しか見えない。そのことが、どれだけ敵を増やしているかまったく分かって
いないようです。

「本当に自分の国が好きなら、よその人が自分の国を愛する気持ちも分かると
思いますし、」そういう姿勢があるかないかは、すぐに見破られてしまうのです。
つまり、安っぽいナショナリズムを振りかざしているだけでは、他の国の痛みなど
理解でいないのは言うもでもなく、自らの国をも危ないところへと導くだけです。

今回の事件から、何を学ぶべきかを考えましょう。この惨事は、私たちの無知や
無関心、無頓着が招いたと言えなくはないのだから。