マイケルサンデルの著書の中にある、次の文章を読んでもらった。
イスラエルのある託児所で、レイトピックアップ{迎えが遅くなる}保護者がいて困っていた。やむを得ず、遅れた人には罰金を科すことに決めた。その結果どうなったか。レイトピックアップが増えてしまったというのだ。
また、別の次の文章も紹介した。
アメリカでは、30年程前と比べると、子供の肥満の割合が3倍になった。すると、生徒を健康体でいるように学校が何とかしてほしいという期待が増え続けている。実際、ある調査では、回答者の64%が、学校が生徒を健康体にしておく上で重要な役割を果たすべきだと考えているという。
この2つの例はどこかおかしいとは思いませんかと問いかけました。
最初の例は、日本でもありうるかもしれないと思ってしまいます。お金を払えばサービスとしてみてくれるだろうということですよね。(それでいいんじゃないと考える人はいませんか)。つまり、”fine” を “fee” と解釈したんでしょうね。でも、こうした親は次の大事な点を見ていません。
私の経験からお話ししましょう。子供が小さかった頃は、朝の時間に余裕があったり、平日に休める日があったりしました。そこで、子供たちを幼稚園に送って行ったり、たまには迎えに行ったりしました。私が迎えに行くと子供は大喜び。他の子供も同様です。その中で、まだ親が迎えに来ない数人の子供は、私たちのことをうらやましそうな目で見ていたものです。私は、ちょっとかわいそうになりました。ほんの1時間かそこらの遅れかもしれませんが、子供のあの眼差しは忘れません。
また、子供の迎えが遅くなることで、それが、ひいては自分の子供のアクシデントにつながる可能性すらあるということを考えないのでしょうか。迎えに来るまでだれかがその子を見ていなくてなりません。それが毎日でしょう。時間外勤務が増えれば体力的にもきつくなるでしょう。それは、レギュラーの勤務中にも影響が出る可能性は十分考えられます。疲れから注意が散漫になることはよくあることです。つまり、通常の勤務にも支障をきたす事態となりうるということです。ということは、時間を守らない人のせいで、子供たちに何らかのアクシデントが起こる危険が増すということです。当然、その人の子供も含めて。
彼らは、先生方のことを考えていないのはもちろんのこと、結局は、子供の気持ちや安全のことも考えていないということでしょう。子供への愛情が足りないということではないでしょうか。プラス、先生方が毎日何時間もまだまだケアーが必要な自分の子供を見ていてくれることへの感謝の気持ちもないのでしょう(それこそ、お金を払っているのだから当然でしょうという言い分でしょうか)。
世の中には、お金で買えないもの、お金で済ませないものがたくさんあります。迎えが遅くなるのは、子供のために働いているからという人もいることでしょう。でも、1、2時間長く働いていくらになるのでしょう。そういう人は、上記の子供の悲しい眼差しを知らないのです(その時間にいないのですから)。もし、先生の過労で子供に何かあったとき、激しく抗議することでしょう。それが、自分のレイトピックアップが関与しているなどと考えもせずに。お金の物差ししか持ち合わせない人はこういう人間になっていくのかもしれません。そして、残念ながらこういう人口が増えているのではないかと思ってしまいます。
さすがに、2例目のような考えを持つ人は、日本ではほとんどいないと思います。これは完全に責任転嫁というやつですね。でも、それが多数派になってしまうと怖い気がします。