先日、授業で「昨年のノーベル平和賞受賞者を知っている?」と生徒に投げかけてみた。残念ながら答えることが出来た生徒はいなかった。そこで、”ICAN”の存在と、彼らの長年の活動が評価されて受賞した旨を、ざっと説明した。
それから、この授業のために用意したICANのノーベル賞受賞の英文記事と、昨年7月に採択された「核兵器禁止条約」の英文記事、プラスαを読んでもらい、用意したいくつかの質問に答えてもらった。
幸い、生徒たちはかなり関心を持って問題に取り組んでくれたようだ。それは、彼らの答案用紙を読んですぐに分かった。彼らの英文から、熱意というか気持ちが伝わってくる。けっこう難しいと思われる問いにも(彼らの活動の意義、今の日本のスタンス、日本は核とどう向き合っていくべきか)、一生懸命、彼らなりの意見を発信してくれた。
今回は、中3から高2生の授業で行ったが、こうしたきっかけを与えれば、十分反応し、対応してくる(もちろんヘルプは必要)。自分なりに考え、それを文章化できる。この年齢の生徒には、こうした授業は必要だと考えている。というより、18歳の人たちに選挙権を与えたのであれば、「与えたのだからしっかりね」では、かなり無責任な気がする。ある程度、大人が導かなくてはならないのではないか。
LEOでは、こうした授業をもう大分続けているおり(特に、高校エッセイのクラス)、きっかけを与えさえすれば、彼らは、真剣に取り組むし考えてくれるのは十分証明された。ただ課題は、どうしたら、本人たちが授業で取り組んだ諸問題に対し、継続して興味を持ち続けてくれるかだ。そして、この課題は、決してここだけで解決できるものではないことは確かだ。こういう環境をもう少し若者に与えるのが大人の役割で、そうしていかないと、自分たちの将来にかかわってくる諸問題に真剣に対することなく(関心を持たずに)、大学生になり、社会人になって行ってしまうのではないか?これって、日本社会にとって大きなマイナスなのではないかと、思ってしまう。