私が出会った生徒で、非常に印象に残っている
生徒が何人かいます。今日はその中の一人について紹介しましょう。
その子は、高3女子で、英語がとても良くできる人でした。それにもかかわらず私の英語の授業を受けに来てくれました(プラス日本語小論文のクラスも受講)。英語には相当な自信があったと思います。各種試験における英語スコアーは立派なものでした。授業をしていても、しっかりした英語力の持ち主だと感じていました。
私が使用する教材は、高校生対象とすればなかなか難しく、帰国生だからこそ使用できるものです。つまり、ネイティヴの学者が書いた論文や一流の雑誌の記事や新聞記事を使用しています。帰国生で、ある程度の英語力のある人ですと、ざっと一読すると、凡そはどんなことが書いてあるか分かります。ただ、それでその文章を理解したかというと、決してそんなわけでなく、事実、その内容について質問してみると、曖昧に解していたり、語彙の足りなさが露呈されることがしばしばです。
私の授業では、前の授業で使用した文章中に使われていた単語について、次回の授業の最初にテストを行います。それは、このレベルの文章を理解できるだけの語彙力を付けてもらうためです。このテストは、力がある人でも、きちんと準備してきませんと良い点は取れません。意外な点になってしまい、勉強してこなかったからだ、と言い訳する人が多いテストです。
しかし、この生徒は、私がこの単語テストをする趣旨を理解してくれたのだと思います。また、英語はほとんど問題ないと思っていたけれど、実際は、あるレベルの文章を本当に理解するためには、まだまだ自分の英語を鍛える必要があると分かってくれたのです。 彼女は、私の課す単語テストで、毎回満点を取るつもりで臨んでいましたし、実際、何回も満点を取ってきました。さらに、文章理解を高めようという姿勢で授業に臨んでくれたと思います。
単語が増えただけでは、文章を深く、正しく読むことはできません。授業では、いろいろな分野の文章を教材にして、そこで扱うトピックについて生徒自身に考えてもらうようにしています。トピックが難しいときは、ヒントを与えてヘルプします。授業によっては、自分の意見を英語で書いてもらいます。
もちろん、生徒の中には問題に答えさえすればいいと考える者もいます。彼女の場合は、その一つ上のレベルで授業を受けていたようです。ただし、自分の英語力をひけらかすこともなく、どちらかと言えば地味に受講していましたが、私が、授業中に話すヒントなども聞き漏らすことはなかったように思います。そして、物事を理解するということがどういうことなのかを学んでくれたように思います。
彼女も最初からそういう態度で来たわけではありません。ただ、自分の力に奢らず、さらに学べることがあるのだと分かったときに、そういう姿勢で対してくれたのです。これはたいへんポジティヴな姿勢だと言えるでしょう。その姿勢で最後まで勉強してくれました。日本語の方は、彼女にとって容易ではなかったと思いますが、冬になると、小論文の先生から、彼女の書くものが大分良くなって来たという報告を受けました。日本語もポジティヴに受講していたのでしょう。
彼女の大学受験は、見事な成功で、第一志望の大学に進学しました。受験終了後、お母さんと一緒に挨拶に来てくれたとき、彼女の口から印象的な言葉を聞いたのでした。彼女曰く、「私はここで学んだことがあります。それは、謙虚さということです。どうもありがとうございました。」
私はこの言葉を聞いたとき、はっとしました。私にとって意外な言葉だったからです。が、その瞬間、彼女の偉さを感じましたし、教師としてたいへんうれしく思いました。彼女は大学に進学しても、また、その後も謙虚な姿勢で多くのことを学び、身に付けていくことでしょう。私も改めて「謙虚さ」という言葉が持つ本当の意味を教わった気がしました。謙虚さという姿勢は決してネガティヴなのではなく、絶対的にポジティヴなのだということを。彼女に感謝しなくてはなりません。「謙虚さ」という言葉が持つ美しさを教えてもらったのですから。教師をしていて本当に良かったと思えるときでした。
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