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父の手術から思うこと

 今月初め、父が大手術を受けた。心臓の弁を2つ取り換えるというものだった。手術に先立ち、執刀医が手術前に行われた検査結果の説明をしてくれた。この先生だったら任せられると思える明確な説明と態度だった。人の命を救うことがこの人の天職であり、それに誇りを持っていることがよく伝わってきた。患者、その家族に対しての思い遣りも感じられた。

 実際の手術は、説明時に言われたように大手術だった。午前8時30分に手術室に入り、手術が終わったのは、午後8時だった。手術前に、麻酔をはじめ様々な処置があるので、実際にメスが入ったのは午前10時過ぎだったらしいが、それでも9時間半に及ぶ手術だった。家族控え室には、他の家族の方々もいらっしゃった。その中の一家族は、ちょうど私の父が手術室に入った直後に、お父さんが救急車で運ばれた方々だった。急性心筋梗塞という診断で、予断を許さぬ状況だった。こちらまで不安になってきた。

時間が刻々と過ぎていった。8時間はかかるかもしれないと言われていたが、午後6時を過ぎても何の知らせも無かった。家族の口数も少なくなった。先程の患者さんは、機械で心臓を動かしている状態ということだった。いろいろな所に連絡を取る準備をし始めた。長期戦になりそうなので、午後7時前に病院の食堂で急いで食事を摂り、また急いで控え室に戻った。午後8時過ぎに、先生が顔を出した。部屋を移し説明をしていただいた。長くかかったが成功だった。やや疲れた顔をしていたが、先日と同様に、手術の様子を明確に説明してくださった。ただただ感謝するばかりだった。

 その後、父は集中治療室で何日かを過ごし、先日一般病室に移ることができた。その間、看護士さんたちが献身的に世話を続けてくれている。その仕事は、精神的にも肉体的にもたいへんなものだが、みな笑顔で応対してくれる。人の命を救うことに対しての一生懸命さを感じさせられる。先生や看護士さんたちに頭が下がる。尊敬する。

 こんなことがあって、ここ数年ずっと気になっていることが、またあらためて頭を擡げてきた。毎日のように、新聞やテレビで「自爆テロにより30人死亡」、「山中に人の遺体」、「2歳の幼児が虐待され死亡」、とったニュースが報道されている。毎日、「死」という言葉を耳にしていると、「死」というものがどんどん軽いものになってしまう。「あ、またどこかで人が死んだのか」という感覚になってしまう。つまり、人の命の価値がどんどん軽薄なものになっている。身近に命を失う危険が迫らないと、その価値、尊さが分からなくなってきている。それどころか、自分の子供の命を絶つくらいだから、人の命とモノも変わらないという感覚の人種すら誕生している。

 テロリストの行為は絶対に許されるものではないが、なぜ、テロ行為が日常的に行われるようになってしまったのかも考えなくてはならない。現在の世界の仕組みを作り上げるのに主導的な役割を果たしてきた国や人たちは、その見返りとして、この混沌とした状況を生み出してしまったことを分かっているはずだ。なにもかも白黒をはっきりさせたがる国がある。自分たちの言い分が通らないと、力でそれを正当化しようとする。力にものをいわせ、大量の爆弾と銃弾でねじ伏せようとする。ねじ伏せられる側からすれば、それこそテロ行為そのものではないか。とにもかくにも、人の命をこんなにも軽々しく扱う権利が人間にあるのだろうか。ちょっと長いが、LEOでテキストに使う英文を紹介しよう。それは、現場に27年間勤め、死刑に断固として反対する人の説得力ある文章である(抜粋)。

Some of these people, in my opinion, may deserve to die for their crimes. But I have come to the conclusion that we, as a civilized society, should not kill them.

We should not because the death penalty fails the two tests against which any just sanction must be measured.

The first test is that the sanction must be in our public self?interest, which in this instance means that we protect our own lives by taking the life of another. In my profession, public protection is my primary responsibility. Therefore, if I had grounds for believing that the execution of convicted murderers saved the lives of innocent people, I would be obligated to endorse capital punishment.

But capital punishment does not protect. Few issues in criminal justice have seen as much research over the last 40 years as the deterrent impact of executions, and there is no issue I am aware of in which the balance of evidence weighs so heavily on the negative side. There is even the possibility that some murderers see execution as a martyrdom which will provide a dramatic end to a life of hatred for themselves and others.

It is sometimes said that even though an execution may not deter others, it at least prevents the freeing of the murderer in a few years to kill again. In Michigan, which has not executed anyone in nearly a century and a half, we have no record of any person commuted from a sentence of first-degree murder, who repeated that crime. First-degree murderers who do not die in prison serve an average of 25 years before release, and their record thereafter is exemplary. To argue that we need capital punishment for our own, safety will not stand scrutiny; life imprisonment is adequate for that purpose.

The second proper test of any penalty exacted by a civilized society is that it can be applied with assurance of justice and fairness. Capital punishment clearly fails this test as well.

It fails a test of social justice in that it has been disproportionately applied to minorities. This disturbing aspect of the death penalty application remains a problem even today. A recent study in our own state shows that both the race of the offender and the victim are factors in determining whether a person will be convicted of a first-degree murder or of a lesser crime. Research in other states has consistently shown a similar pattern of racial discrimination in assigning the death penalty

There also is the ever?present possibility??and over time the certainty??of the ultimate injustice: the socially approved execution of a person who happens to be innocent. Despite all judicial safeguards, some persons serving prison terms for murder in the first degree have been subsequently found to have been wrongfully convicted. At that point a prison term can at least be abridged, but a life cannot be restored.

さらに、彼は続けてこう述べる。

I am convinced capital punishment fails all proper criteria of an effective and just response to homicide. But there is yet a strong reason why we, as civilized people, should not kill even the most hateful and undeserving of criminals. That is the brutalizing effect which the death penalty has on the public which imposes it. Deliberate, unnecessary killing cheapens the value of human life.

Once we recognize that the death penalty is neither a just nor effective response to murder, then only vengeance is left. Several years ago, Canada’s Pierre Trudeau asked this question: “Are we so bankrupt as a society, so lacking in respect for ourselves, so lacking in hope for human betterment, so socially bankrupt that we are ready to accept vengeance as a penal philosophy?”

 彼が言うように、「故意の不必要な殺害は、人の命の価値を安っぽいものにしてしまう」のだ。あたかも、毎日「死」と言う言葉が氾濫し、その言葉を聞きなれてしまうと「人の命」の価値が軽いものになってしまうように。さらに、「死刑は殺人に対する正しく、効果的な対処ではなく、あとに残るのは復讐だけである」と述べているように、力ずくで抑えても、後に残るのは復讐心だけなのだ。そして新たに殺害が繰り返されると言う最悪のパターンだ。

最後に、カナダのPierre Trudeauの言葉に私たちは、真摯に耳を傾けるべきだろう。一文明人として、人の命を大切にしないことは恥ずべきことである。現在の社会は、あまりにも人の命を軽いものにしてはいないか。つまり文明社会はかなり破綻をきたしていないかを真剣に考えたい。一方で、人の命を救うために必死働いている人がいる。他方では、軽々しく人の命を、あたかもモノかのごとく奪ってしまう人がいる。人間は一人では生きていけない。みんなと協力し合って生きる社会を作っていかなくてはいけない。その中で生きていかなくてはいけない。自分の命、他者の命を尊んで生きていかねばならない。そうした信頼関係を築けない社会はさびしい社会だ。人の命を救う医師の真剣さ、患者の世話を献身的にしてくれる看護士たち。彼らを見ていると救われる。とてもうれしい。私たちの住む社会にこうした尊敬できる人たちが働いていることを忘れてはならない。私たちも人の命の価値を尊ばねばならない。少なくとも軽いものにしてはならない。そういう行為を許してはならないと思う。

[  2005/07/12 14:07  ]   [    Diary  ]  ▲ TOP ▲