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吉澤コラム

2013年度大学入試を振返って その2

 2013年度大学入試を振返って その2

 LEOには、帰国生を受け入れる学校からの生徒が集まります。
2012年度で言うと、ICU、成蹊、頌栄女子学院、学芸大附属国際
中等、富士見といった学校の生徒が来てくれました。年度によっては、
これらの学校以外に、都立国際、桐朋女子、洗足学園、啓明学園
などから来てくれることもあります。

 異なる学校の人たちと初めて会って勉強するので、最初のころは、
それぞれがどんな人たちなのだろうかといった感じの中で受講して
いる様子が窺えます。時間が経つと、皆、やはり似た経歴を持って
いることが分かり、また、英語を勉強する上で、そういう人たちと共に
学んでいくことのメリットを感じるようになります。そして、段々と打ち
解けて、いいムードになっていくことが多いと思います。特に、2012
年度生たちは、クラス全体として仲良くまとまりました。そして、お互いに
頑張って、みんなで良い結果を勝ち取ろうというムードになりました。
生徒の声を紹介します。

 「LEOに行くことによって、学校は違っても、ともに頑張る仲間に出会う
ことができ、かけがえのない思い出を作ることができました。これは、
LEOだからこそ可能だったと思います。」

 「周りの生徒も自分と似たような境遇であったため、とても居心地が
よかったです。素晴らしい先生方と仲間たちとともに受験を迎えられた
わたしは本当に幸せだと思います。」

 「何回か他の一般の塾にも通いましたが、それらは全部自分に合い
ませんでした。それは、先生に帰国生だということをちゃんと理解して
もらえなかったからだと思います。それに比べてLEOでは周りも帰国生
でしたし、先生が帰国生のことをしっかり理解してくれて、親近感が湧き、
とても居心地が良かったのです。何より、先生を中心にクラスがまとまって
いて授業を受講するのが楽しく、勉強することが楽しく感じられるようになり
ました。そして、自分がどんどんできるようになるのを実感できてとても嬉し
かったです。」

 「LEOで学ぶことで、似たような境遇にいる仲間と巡り合え、共に非常に
密度の濃い授業を受講し切磋琢磨し合うことで、私の学力は着実に向上
したと実感しています。」

 こうした声は、毎年、高校受験生からも聞かれます。それぞれ別々の中学に
通っている帰国生とLEOで出会って、一緒に時を過ごすことで、何かほっとする
ところがあるようです。

 試験では、自分の体験や経験に基づいて英語や日本語でエッセイを
仕上げるといったものや、自分の経験を活かした将来像といったものを
問われたりします。さらに、経験や知識をもとに社会や世界が抱える問題に
対してどう考えるかなどを問われることもあります。LEO生の受験校はそれ
ほどバラバラではありません。と言うより、いくつかの学校に集中しますので、
教える側からすれば、的を絞りやすく、それらの大学の試験に特化した内容
での授業が可能です。生徒からすれば、何をすべきなのか、どう準備すべき
なのかが分かりやすい授業になっていると思います。再び、生徒の声を
引用します。

 「LEOは、早い時期から生徒ひとりひとりを考慮して様々な教材や過去問を
用意するという、受験にとって最適かつ最高な学習環境を提供してくれました。
難解な文章の含意を読み取るために、自らの意見や体験を語り合ったり、
先生の意見を聞いたりすることにより、読解力が強化されただけでなく、
時事問題や世間一般に対する知識や関心も増し、視野も広がりました。
授業はどれもとても充実していて、将来のことや進路のことを深く考える
機会も与えてくれました。」

「LEOは、お互い刺激しつつ励まし合う素晴らしい仲間と巡り合わせて
くれました。さらに、授業を通じて、将来、なぜ自分が英語を使い、国際的な
場で働きたいかを気づかせてくれました。これは、私の将来にとってとても
大きなことだと思います。」

 「英語の授業では、早い時期から過去問や先生の作った問題に取り組む
ことによって自分の実力が伸びていくのを感じました。特に和訳やエッセイに
関してはしっかりLEOで準備することができたため、上智大学の試験には
自信を持って臨むことができたと思います。高3から始まった小論文の
授業の内容もとても充実していて、自分たちの志望校に絞って問題を用意
してもらったのも役立ちました。」
 
 最後に、LEOは小人数で生徒一人一人をしっかり把握できるという
良さがあると思います。教師と生徒の距離がかなり近い塾です。また、
帰国生を対象にずっとやってきましたので、彼らの特徴も心得ている
つもりです。そこで、教師と生徒の信頼関係が築けるのだと思います。
ここがとても重要なポイントです。この関係がしっかり築けた年度ほど
良い結果が生まれているように思います。これは、ちょうどチーム
スポーツで良い結果が出せた年は、コーチあるいは監督と選手、
そして、先輩と後輩が信頼し合い一つになれた時であるのと同じ
感じです。2012年度は、LEOの歴史でも最もクラスのムードが良く、
チームとして一つになれたという実感がありました。

 「緊張や不安で押し潰されそうになった時はいつでも、先生方や
仲間の言葉や存在が励みになりました。入試当日、胸を張って「あれ
だけ皆と頑張ってきたから、きっと大丈夫」と思えるほどに成長できた
のも、また、晴れて全ての志望校に合格することができたのも、LEOの
おかげです。」

 「LEOの最大の良さは、少人数だからこそ実現できるアットホームな
環境だと思います。先生が生徒一人一人のことをきちんと理解してくれ、
いつでも相談しに行くことができました。大手の塾ではここまで生徒と
向き合うことはできないと思います。試験の直前になって、すごく緊張
したときも先生たちに勇気をもらいに行くことが何度かありました。」

 2012年度生は、相当の問題量をこなしてくれました。前向きに学習に
取り組んでくれました。授業を楽しんでくれました。そして、ばらばらの
学校から集まったにもかかわらず、一つの素晴らしいチーム(家族)に
なりました。その結果、それぞれの努力が報われました。そういう人たちと
出会えて幸せでした。LEOの2013年度大学入試を振返った感想です。

[  2013/03/13 11:03  ]   [    Diary  ]  ▲ TOP ▲

2013年度大学入試を振返って その1

 2013年度大学入試を振り返って その1

 まず、今振り返って思うことは、LEOの2012年度高3生は、素直で、
謙虚で、向上心の高い人が集まってくれたなということです。

 毎年そうですが、みなさん帰国生で、海外では英語で授業を受けて
きた人たちですから、英語に関しては、それなりの自信を持っています。
TOEFL、ましてやTOEICのスコアーは、一般的に考えればすごいもの
です。また、英検で言えば、1級か準1級保持者です。

 そういう人たちがLEOに来てまず驚くのが、大学入試での英語問題の
レベルの高さです。LEOの生徒たちが目指す大学では、ネイティヴの
学者が書いた論文がそのまま入試問題に使われ、その文章を正しく、
そして深く読み取ることを求めています。そのうえで、AOや帰国入試では、
自分の意見を述べることが要求されます(英語または日本語で)。

 このレベルの文章になると、TOEFLで高得点の人、あるいは、英検
1級保持者であっても、必ずしも、正しく文章を読みとれるとは限りません。
実際、最初のころは、良い点を取れる解答を作れる人はほとんどいません。
多くの人は、英文を読んで、書いてあることは大体分かったと認識しますが、
それでは文章を理解したことにはなりません。いわゆる勘違いというやつ
です。それでは、大学が求めている解答は作れません。ここが肝心で、
これが分からないままでいると、本番で不合格になった時に、どうして
自分が不合格だったのかも理解できないことになります(こういう人が
かなりいます)。

 LEO生は、ここのところをしっかりと認識し、今のままではいけないことを
早い時期に自覚してくれました。自分が分かったと思っても、実際には50%
くらいしか理解していないことが分かったのです。そして、こちらが与えた
ものを謙虚に消化していってくれました。その過程で、文章を正しく、深く
読むという作業がどういうことなのかが段々分かっていったように思います。
また、英単語テストにも本気で取り組んでくれました。他の人に負けたくない
という思いもあったでしょう。みんな満点を取るつもりで臨んでくれたと思い
ます。生徒の生の声を紹介します。

 「英語も小論文も、授業内容は決して簡単なものではありませんでした。
英語もこのレベルの英文を読みこなすことを要求されるとは思ってもいま
せんでした。でも、そうした難問が理解できた瞬間や、LEOの英単語テスト
で満点を取った瞬間が、本番の試験会場での私の自信につながっていき
ました。」

 これは、入塾前に英検1級を持っていた子で、LEOで学んでいくうちに、
最終的には、TOEFLも110をクリアした生徒です。さらに別の生徒は次の
ように言ってくれました。

 「LEOで学ぶことによって、私の英語は大きく成長したと強く感じています。
特に、最初はうまく書けなかったエッセイが上達したと実感できた時は、
本当に、LEOで学んで良かったと思いました。かなりレベルの高い内容の
ものを読み、それについて自分の考えや意見を書けるまでに持って行って
くれたことに感謝しています。」

 この生徒は、小6の時に帰国した子で、LEOで学んでいく中で、英検1級を
取得しました。

 レベルの高い文章に読みなれることが大切ですので、LEOでは、過去
問題を使いながら、その文章と関連のあるものを探して教材にしています。
そして、ただ読むだけでなく、そのトピックについて自分ではどう考えるか
という部分を大切にします。こういう読み方の習慣が付けばしめたものです。
いわゆる読解力がアップしてきます。また、自分でいろいろなことに興味が
持てるようになります。これがひいては日本語小論文にも役立つことは
間違いありません。ちょっと長いですが、生徒の声を引用します。

 「私にとって、LEOの英語の授業は最適でした。授業は週に2〜3回で
各1時間半と決して長くありませんが、時計を見る暇もなく、和訳やエッセイ、
長文問題を次々にやります。私は、特にエッセイの授業が好きで、死刑
制度から環境問題、言語や文化、そして、民主主義やグローバリゼーション
などのトピックについての文章を読み、自分の意見を述べる授業です。また、
先生自身がそれらの問題についてどういう考えを持っているかを話してくれ
ます。先生の意見はいつも説得力があり、時に心温まるものでした。1年半
LEOに通うことにより、英語力が付いて自信を持てただけでなく、時事問題
にも興味を持つようになました。先生の授業についていけば、知らないうちに
そうした文章を正確に読める語彙力が付き、それぞれの問題について自分の
意見を英語で書けるようになります。LEOで学んだことは必ず大学に入って
からも役立つと思います。」

 今年度は、このように生徒たちが、自分の英語力(読解力)と大学が
求める英語問題・解答がどういうバランス状態にあるかを、冷静にそして
謙虚に認識してくれたことが、素晴らしい結果の最大のポイントであった
ことはまちがいありません。この仕事を長くしてきて、ある程度英語が出来る
人はたくさんいますが、現実を見ず、あるいは、現実から目を逸らして
しまって、客観的に自分の力を把握できる人は少ないというのが実感です。
ここをきちんと見極め、しっかりとした訓練を経なければ(たくさんの問題を
こなし、実際のテストで高得点を取れる力を付ける)、結果はついてきません。
また生徒の声を聞いてください。

 「そして何より、努力した分だけ自分に返ってくるということを教えてくれ
ました。最終的には受験結果は自分の責任なのです。今回は受験でしたが、
これは、将来とても役立つと実感しています。」

 2012年度生は、本当に努力し、素晴らしい成果を上げることができました。
一番のポイントは、英語を武器にできるまでに鍛えたこと。語彙力を付け、
読解力を付け、自分でいろいろなことに興味を持ち、自分なりの考えを発言
できるようになったことです。今年度は、何と言っても授業をしていた楽し
かった。それは、生徒たちの授業に臨む姿勢・態度に、こちらもより前向きに
反応したからだと思います。では、このへんで「入試を振返って その1」を
終えます。その2では、もう一つの成功のカギだったと思われることを紹介
するつもりです。

[  2013/03/09 12:03  ]   [    Diary  ]  ▲ TOP ▲

E-mail

 英語エッセイクラスの最近のトピックだったE-mail についての
所見を載せることにしました。

“E-mail has overtaken us without our really understanding what it is.”

An e-mail message can be conveyed and understood by words,
and thus it is arbitrary or irresponsible. How it reads is entirely left
up to the receiver, who does not know how serious it is, in what
occasion the sender wrote it, or whether or not it is what the sender
really means.

On the other hand, our talk is not only exchanging information,
but it is also saying something about our relation or attitude toward
each other. Talking is the major way we establish, maintain,
monitor, and adjust our relationship.

E-mail ignores and lacks this aspect; people are emotionally
involved with each other. With this aspect neglected, we are
less and less conscious that we are social beings and that we
need to communicate/respond to social meanings, by which
we connect with each other.

Human beings need to be connected to others and also
need to be left alone. Our human contact is based on the
tacit recognition of these needs. Thus, we communicate
with each other politely, not irresponsibly. In other words,
we learn from our daily lives that we are social creatures as
well as individual creatures and what human contact should
be like.

E-mailing ignores social meanings, which implies that
the more accustomed to e-mail we are, the more oblivious
we are to other people's feelings and the more indifferent
we are about how we establish and maintain our relationship.

Receiving an e-mail message, the receiver interprets it
by the meanings of words. Possibly, his/her interpretation
contradicts what the sender means. However, the receiver
does not have enough time to think about it or reflect upon it
later because the next message is already on the screen.
The both sides, the sender and the receiver, think that
communication is done; actually nothing is done.

E-mail can be compared to copy. The invention of
copy machines brought about significant changes in our life.
Copying is convenient just like e-mailing. Copy machines
save us a lot of time to write. They cut out the process of
writing by hand. What does it mean? During the process
of writing, we can communicate with the writer on our mind,
think about what the writer means, and try to understand it.
It requires considerable time and efforts, but we think and
establish a kind of relationship with the writer. On the other
hand, during the process of copying, we need not think,
but just wait. When we read the copy once or twice, we think
that we understand it. That is an illusion. We just receive
information, but we never understand it. Copying stops us
from thinking. It does not give us enough time to stop and
think, nor does e-mailing.

E-mail requires drastic changes in our life without our
understanding what changes are being brought about.
The changes can endanger the nature of human contact,
making our communication superficial, making us insensitive
to other people's feelings, and making it hard for us to
establish and maintain an adequate relationship with each
other. Also, they force our ability to process information to
change. Information is flooding in, and we are forced to
process it as fast as possible. So when we read a message,
we think that we understand it. Do we really understand it?
No, that is an illusion. Our thought stops. But we cannot stop
because another message awaits us in the next moment. We
have to understand what e-mail really is and that e-mail has
serious implications for our life. Before being addicted to it,
stop and think about it. Once you accept it, you cannot think.

[  2010/04/08 13:04  ]   [    Diary  ]  ▲ TOP ▲

謙虚さ

私が出会った生徒で、非常に印象に残っている

生徒が何人かいます。今日はその中の一人に

ついて紹介しましょう。


 その子は、高3女子で、英語がとても良くできる

人でした。それにもかかわらず私の英語の授業を

受けに来てくれました(プラス日本語小論文の

クラスも受講)。英語には相当な自信があったと

思います。各種試験における英語スコアーは

立派なものでした。授業をしていても、しっかり

した英語力の持ち主だと感じていました。

 私が使用する教材は、高校生対象とすればなか

なか難しく、帰国生だからこそ使用できるもの

です。つまり、ネイティヴの学者が書いた論文や

一流の雑誌の記事や新聞記事を使用しています。

帰国生で、ある程度の英語力のある人ですと、

ざっと一読すると、凡そはどんなことが書いて

あるか分かります。ただ、それでその文章を理解

したかというと、決してそんなわけでなく、事実、

その内容について質問してみると、曖昧に解して

いたり、語彙の足りなさが露呈されることがしば

しばです。


 私の授業では、前の授業で使用した文章中に使われて

いた単語について、次回の授業の最初にテストを行い

ます。それは、このレベルの文章を理解できるだけの

語彙力を付けてもらうためです。このテストは、力が

ある人でも、きちんと準備してきませんと良い点は

取れません。意外な点になってしまい、勉強してこな

かったからだ、と言い訳する人が多いテストです。


 しかし、この生徒は、私がこの単語テストをする趣旨を

理解してくれたのだと思います。また、英語はほとんど

問題ないと思っていたけれど、実際は、あるレベルの

文章を本当に理解するためには、まだまだ自分の英語を

鍛える必要があると分かってくれたのです。


 彼女は、私の課す単語テストで、毎回満点を取るつもりで

臨んでいましたし、実際、何回も満点を取ってきました。

さらに、文章理解を高めようという姿勢で授業に臨んで

くれたと思います。


 単語が増えただけでは、文章を深く、正しく読むことは

できません。授業では、いろいろな分野の文章を教材に

して、そこで扱うトピックについて生徒自身に考えて

もらうようにしています。トピックが難しいときは、ヒントを

与えてヘルプします。授業によっては、自分の意見を英語で

書いてもらいます。


 もちろん、生徒の中には問題に答えさえすればいいと

考える者もいます。彼女の場合は、その一つ上のレベルで

授業を受けていたようです。ただし、自分の英語力を

ひけらかすこともなく、どちらかと言えば地味に受講

していましたが、私が、授業中に話すヒントなども聞き

漏らすことはなかったように思います。そして、物事を

理解するということがどういうことなのかを学んでくれた

ように思います。


 彼女も最初からそういう態度で来たわけではありません。

ただ、自分の力に奢らず、さらに学べることがあるのだと

分かったときに、そういう姿勢で対してくれたのです。

これはたいへんポジティヴな姿勢だと言えるでしょう。

その姿勢で最後まで勉強してくれました。日本語の方は、

彼女にとって容易ではなかったと思いますが、冬になると、

小論文の先生から、彼女の書くものが大分良くなって来た

という報告を受けました。日本語もポジティヴに受講して

いたのでしょう。


 彼女の大学受験は、見事な成功で、第一志望の大学に

進学しました。受験終了後、お母さんと一緒に挨拶に

来てくれたとき、彼女の口から印象的な言葉を聞いたの

でした。彼女曰く、「私はここで学んだことがあります。

それは、謙虚さということです。どうもありがとうござい

ました。」


 私はこの言葉を聞いたとき、はっとしました。私にとって

意外な言葉だったからです。が、その瞬間、彼女の偉さを

感じましたし、教師としてたいへんうれしく思いました。

彼女は大学に進学しても、また、その後も謙虚な姿勢で

多くのことを学び、身に付けていくことでしょう。私も

改めて「謙虚さ」という言葉が持つ本当の意味を教わった

気がしました。謙虚さという姿勢は決してネガティヴなの

ではなく、絶対的にポジティヴなのだということを。彼女に

感謝しなくてはなりません。「謙虚さ」という言葉が持つ

美しさを教えてもらったのですから。教師をしていて本当に

良かったと思えるときでした。


参照ページ http://act4gaia.spaces.live.com/default.aspx

[  2009/11/30 22:11  ]   [    Diary  ]  ▲ TOP ▲

コラムの更新

新サイトになり、今後不定期ではありますが、「吉澤コラム」として執筆していきます。受験に関することだけでなく、LEOに通ってきた学生を思い出し、当時一緒に向き合った色んな事を書き綴りたいと思っています。

また、各教育機関の入試に関するちょっとしたマル秘話も…書ければと思います!

[  2009/07/13 14:07  ]   [    Diary  ]  ▲ TOP ▲

父の手術から思うこと

 今月初め、父が大手術を受けた。心臓の弁を2つ取り換えるというものだった。手術に先立ち、執刀医が手術前に行われた検査結果の説明をしてくれた。この先生だったら任せられると思える明確な説明と態度だった。人の命を救うことがこの人の天職であり、それに誇りを持っていることがよく伝わってきた。患者、その家族に対しての思い遣りも感じられた。

 実際の手術は、説明時に言われたように大手術だった。午前8時30分に手術室に入り、手術が終わったのは、午後8時だった。手術前に、麻酔をはじめ様々な処置があるので、実際にメスが入ったのは午前10時過ぎだったらしいが、それでも9時間半に及ぶ手術だった。家族控え室には、他の家族の方々もいらっしゃった。その中の一家族は、ちょうど私の父が手術室に入った直後に、お父さんが救急車で運ばれた方々だった。急性心筋梗塞という診断で、予断を許さぬ状況だった。こちらまで不安になってきた。

時間が刻々と過ぎていった。8時間はかかるかもしれないと言われていたが、午後6時を過ぎても何の知らせも無かった。家族の口数も少なくなった。先程の患者さんは、機械で心臓を動かしている状態ということだった。いろいろな所に連絡を取る準備をし始めた。長期戦になりそうなので、午後7時前に病院の食堂で急いで食事を摂り、また急いで控え室に戻った。午後8時過ぎに、先生が顔を出した。部屋を移し説明をしていただいた。長くかかったが成功だった。やや疲れた顔をしていたが、先日と同様に、手術の様子を明確に説明してくださった。ただただ感謝するばかりだった。

 その後、父は集中治療室で何日かを過ごし、先日一般病室に移ることができた。その間、看護士さんたちが献身的に世話を続けてくれている。その仕事は、精神的にも肉体的にもたいへんなものだが、みな笑顔で応対してくれる。人の命を救うことに対しての一生懸命さを感じさせられる。先生や看護士さんたちに頭が下がる。尊敬する。

 こんなことがあって、ここ数年ずっと気になっていることが、またあらためて頭を擡げてきた。毎日のように、新聞やテレビで「自爆テロにより30人死亡」、「山中に人の遺体」、「2歳の幼児が虐待され死亡」、とったニュースが報道されている。毎日、「死」という言葉を耳にしていると、「死」というものがどんどん軽いものになってしまう。「あ、またどこかで人が死んだのか」という感覚になってしまう。つまり、人の命の価値がどんどん軽薄なものになっている。身近に命を失う危険が迫らないと、その価値、尊さが分からなくなってきている。それどころか、自分の子供の命を絶つくらいだから、人の命とモノも変わらないという感覚の人種すら誕生している。

 テロリストの行為は絶対に許されるものではないが、なぜ、テロ行為が日常的に行われるようになってしまったのかも考えなくてはならない。現在の世界の仕組みを作り上げるのに主導的な役割を果たしてきた国や人たちは、その見返りとして、この混沌とした状況を生み出してしまったことを分かっているはずだ。なにもかも白黒をはっきりさせたがる国がある。自分たちの言い分が通らないと、力でそれを正当化しようとする。力にものをいわせ、大量の爆弾と銃弾でねじ伏せようとする。ねじ伏せられる側からすれば、それこそテロ行為そのものではないか。とにもかくにも、人の命をこんなにも軽々しく扱う権利が人間にあるのだろうか。ちょっと長いが、LEOでテキストに使う英文を紹介しよう。それは、現場に27年間勤め、死刑に断固として反対する人の説得力ある文章である(抜粋)。

Some of these people, in my opinion, may deserve to die for their crimes. But I have come to the conclusion that we, as a civilized society, should not kill them.

We should not because the death penalty fails the two tests against which any just sanction must be measured.

The first test is that the sanction must be in our public self?interest, which in this instance means that we protect our own lives by taking the life of another. In my profession, public protection is my primary responsibility. Therefore, if I had grounds for believing that the execution of convicted murderers saved the lives of innocent people, I would be obligated to endorse capital punishment.

But capital punishment does not protect. Few issues in criminal justice have seen as much research over the last 40 years as the deterrent impact of executions, and there is no issue I am aware of in which the balance of evidence weighs so heavily on the negative side. There is even the possibility that some murderers see execution as a martyrdom which will provide a dramatic end to a life of hatred for themselves and others.

It is sometimes said that even though an execution may not deter others, it at least prevents the freeing of the murderer in a few years to kill again. In Michigan, which has not executed anyone in nearly a century and a half, we have no record of any person commuted from a sentence of first-degree murder, who repeated that crime. First-degree murderers who do not die in prison serve an average of 25 years before release, and their record thereafter is exemplary. To argue that we need capital punishment for our own, safety will not stand scrutiny; life imprisonment is adequate for that purpose.

The second proper test of any penalty exacted by a civilized society is that it can be applied with assurance of justice and fairness. Capital punishment clearly fails this test as well.

It fails a test of social justice in that it has been disproportionately applied to minorities. This disturbing aspect of the death penalty application remains a problem even today. A recent study in our own state shows that both the race of the offender and the victim are factors in determining whether a person will be convicted of a first-degree murder or of a lesser crime. Research in other states has consistently shown a similar pattern of racial discrimination in assigning the death penalty

There also is the ever?present possibility??and over time the certainty??of the ultimate injustice: the socially approved execution of a person who happens to be innocent. Despite all judicial safeguards, some persons serving prison terms for murder in the first degree have been subsequently found to have been wrongfully convicted. At that point a prison term can at least be abridged, but a life cannot be restored.

さらに、彼は続けてこう述べる。

I am convinced capital punishment fails all proper criteria of an effective and just response to homicide. But there is yet a strong reason why we, as civilized people, should not kill even the most hateful and undeserving of criminals. That is the brutalizing effect which the death penalty has on the public which imposes it. Deliberate, unnecessary killing cheapens the value of human life.

Once we recognize that the death penalty is neither a just nor effective response to murder, then only vengeance is left. Several years ago, Canada’s Pierre Trudeau asked this question: “Are we so bankrupt as a society, so lacking in respect for ourselves, so lacking in hope for human betterment, so socially bankrupt that we are ready to accept vengeance as a penal philosophy?”

 彼が言うように、「故意の不必要な殺害は、人の命の価値を安っぽいものにしてしまう」のだ。あたかも、毎日「死」と言う言葉が氾濫し、その言葉を聞きなれてしまうと「人の命」の価値が軽いものになってしまうように。さらに、「死刑は殺人に対する正しく、効果的な対処ではなく、あとに残るのは復讐だけである」と述べているように、力ずくで抑えても、後に残るのは復讐心だけなのだ。そして新たに殺害が繰り返されると言う最悪のパターンだ。

最後に、カナダのPierre Trudeauの言葉に私たちは、真摯に耳を傾けるべきだろう。一文明人として、人の命を大切にしないことは恥ずべきことである。現在の社会は、あまりにも人の命を軽いものにしてはいないか。つまり文明社会はかなり破綻をきたしていないかを真剣に考えたい。一方で、人の命を救うために必死働いている人がいる。他方では、軽々しく人の命を、あたかもモノかのごとく奪ってしまう人がいる。人間は一人では生きていけない。みんなと協力し合って生きる社会を作っていかなくてはいけない。その中で生きていかなくてはいけない。自分の命、他者の命を尊んで生きていかねばならない。そうした信頼関係を築けない社会はさびしい社会だ。人の命を救う医師の真剣さ、患者の世話を献身的にしてくれる看護士たち。彼らを見ていると救われる。とてもうれしい。私たちの住む社会にこうした尊敬できる人たちが働いていることを忘れてはならない。私たちも人の命の価値を尊ばねばならない。少なくとも軽いものにしてはならない。そういう行為を許してはならないと思う。

[  2005/07/12 14:07  ]   [    Diary  ]  ▲ TOP ▲

「帰国後の英語」の逆説

 帰国後の英語保持や、英語力についてよく相談を受けます。滞在年数や、年齢にもよりますので、こうすればいいですよ、と一言では答えられません。

 ただ、一つ言える事があります。それは、滞在中にどれだけ英語を使っていたかということです。換言すると、滞在中にどれだけ向こうの学校に溶けこみ、生きた英語を身につけてきたかによるということです。

 現地校やインターで、友達をたくさん作り、楽しい学校生活を過ごして帰国した人は、小学生で帰国した場合でも、かなりいい英語を身に付けています。特に、小学校5,6年生での帰国の場合、努力次第ではキープするのも可能です。というより、その年齢でしたら、さらに英語力を上げることも可能です(オーラル以外)。

 英語をうまく保持でき、さらに向上させている人に共通して言えることは、本をよく読んでいることです。今までに出会った生徒の中で、小6の秋に素晴らしい英語を身に付けて帰国し、帰国後もさらに英語を伸ばした人がいます。その子は常にペーパーバックを持ち歩いていました。そして、英語の本で面白いものがあったら教えてくださいと尋ねてきました。英検やトーフルといった試験にも積極的にチャレンジしました。

 この子の場合は、将来、アメリカに帰りたいという強い思いがそうさせたのだと思います。つまり、アメリカ滞在を存分に楽しめたので、英語力も現地の子同様、あるいはそれ以上に付いたのです。また、帰国後も、自分を育ててくれたアメリカにまた戻りたいという強い思いが、英語力向上の努力に向かわせたのでしょう。

 いろいろな事情があるでしょうが、現地で友人を作ることができなかったり、付き合いが日本人グループのみだった場合は、本当の英語力が付いていませんので、英語を保持することは難しくなります。特に、日本人が多い地域に滞在した人、高学年になってから初めて海外に出た人などが苦労していると思います。また、当然、滞在期間が短かった場合は、英語が分かりかけたら帰国というケースもあるでしょう。

 そういう人でも、耳では英語が残っていますから、英語にできる限り接することを心がけるといいでしょう。もちろん、海外と同じ環境を期待することはできませんので、学習言語としての英語と割りきって勉強するのがいいと思います。一般の人でも避けて通れないところですし、将来のためでもありますから、文法などをきちんと学び、受験でいい点を取る、英検を準2級くらいからチャレンジするなど、何か目標を持って、徐々に英語力を上げていく努力をしてほしいと思います。もしかしたら英語が嫌いになってしまった人も、焦らずに一つずつ目標をクリアーしていくと、自信が持てるかもしれませんよ。

 英語を身に付けたり、英語力を保持・向上するという問題は、滞在国、海外に行った年齢等々により、理想通りにはいかないかもしれません。また、ネイティヴと同様の英語を身につけた人は、今度は、日本語で非常に苦労する事も多々あります(実際、帰国後、どうしても日本語を避けがちな人も多く見られます)。

 いずれにしても、語学に関しては、本を読む習慣が付いた人は強いということです。残念ながら、そういう人は少数派です。では、どうするかですが、一つは上手な動機付けが大切だと思います。大きな目標よりも、小さな目標を設定して、それがどうして大切なのかを理解して(理解させて)、その目標に向かって努力することです。子供が目標を達成できたら、大袈裟に褒めましょう。良い気分にさせて、次の、あとちょっと努力すれば達成できそうな目標を作ると良いでしょう。口で言うほど簡単ではありませんが、実践できている人もいますので、がんばってください。

 しかしながら、最大のポイントは、海外滞在中の過ごし方にあります。つまり、帰国後の英語力の問題は、帰国前にあったということです。それ抜きにこの問題を考えると、とても難しい、解決できない問題になってしまうのです。

[  2005/05/06 14:05  ]   [    Diary  ]  ▲ TOP ▲

「2005年度 受験を終えて」

2005年度が終了しました。いつものごとく、あっという間でした。でも、受験生が一番そう感じてるでしょうね。

 嬉しいこと、残念なことがありました。嬉しいことの方が圧倒的に多かったですね。しかし、すべてがうまく行くとは限りません。

 一番嬉しかったのは、大学受験生25名中21名が第一志望校に合格したことです。これってすごいことですよね。こんな塾・予備校ってあるでしょうか。疑われてしまうかもしれませんね。そういう人は、合格実績ページを見てください。ほとんどの人が、早稲田・慶應・上智・ICUのいずれかに進学します。入学式が始まりますね。本当に早い(早すぎる)。

 どうしたら、こんな良い結果が生まれるのでしょう。もともと頭がいいんじゃないのとか、英語で入ったんでしょ、という声が聞こえてきそうですね。確かに、頭のいい人はいましたよ。英語がすごい人もいました。でも、そういう人がみんなうまく行くわけでもないのです。成功した人は、それなりの努力をしています(神様は見ています)。また、特にすごい才能の持ち主でなくても、トップ校に合格しますよ。努力の賜物という人もいます。こういう人たちは評価したいですね。そして、その努力は、これからも(大学生、社会人になっても)いろいろな形で出てくると思います。

 では、成功者に見られる点をいくつか紹介しましょう。

1. 自分を知る   
2. 長所を最大限に活かす(殺さない)
3. 正しい情報を早くつかむ    
4. 目標を設定する
5. やるべきことをやり、継続する

一つずつ見ていきましょう。

 1. LEOでは、現地校やインターナショナル校に在籍していた人が多いので、日本語が得意という人はあまりいません(苦手意識、不安を持っている人の方が多い)。クラブや学校行事に燃える人が多いのも特徴かもしれません。こういう状況ですので、センター試験のようにたくさんの科目を勉強しなければならない入試に向いているとはいえません。また、私大の3教科入試ですら、古文・漢文・地歴に関しては、かなり苦戦するでしょう。

まして、ほとんど全員がトップ校を目指します。そうした私大の国語や地歴は、一般生でも四苦八苦しているのです。それをやり切るのは並大抵なことではありませんし、英語での貯金をはたいてしまうケースの方が多く見られます。これが現実です。こうした状況にある自分をしっかり理解し、では、どういう受験方法があるのかと歩み出してみましょう。つまり、苦手科目は必要最小限で済ませるということです。

 2. 英語は、どんな入試方式でも受験科目です。これは願ってもないことでしょう。英語なら負けないという人も多いはずです。当然、英語を武器にすべきです。英語力には問題ないという人は、どんどん実践的な問題に当たって、常に高得点を取れるようにしておきましょう。(問題をたくさん解いてないと、自分が思ったような点を取れない人も結構いるのです。そういう人ほど、その原因を問題のせいにします。)まだ、努力が必要な人は、とにかく英語を鍛えて武器にしましょう。

 3. でも、英語だけでは受験できないでしょう。いいえ、英語のみで受験可能な大学(入試方式)もあります。ただ、たくさんあるわけではありません。ですから、正しい入試情報を早く入手しましょう。これを早い時期にやっておくことには、大きな意味があります。受験勉強を良い形でスタートすることができるのです。ここを疎かにしていると、間違った選択・スタートをしてしまう恐れがありますし、そういう人はたくさんいます。LEOは正しい情報を提供できます。これはとても重要ですぞ。

 4. 入試事情が分かってきたら、早めに目標を設定しましょう。志望校を決定できれば、それが最高の目標です。それが決まると、いろいろな小さい目標もできます。例えば、夏までにトーフルや英検でいい結果を出そうという目標を立てる人もいるでしょう。また、どうしても受験に日本語小論文が必要だから、これを早めに始めておこうと決める人もいるでしょう(これは賢いのです。仕上がるまでに時間がかかるものを後回しにしておくとものになりません。いやでも早く始めるべきです)。10月から、AO入試等が始まるから、それまでに必要科目を間に合わせようという目標も立つはずです。目標ができれば、そこにつながる道が見えてきます。そうした方が、絶対に勉強しやすいのです。

 5. 目標を設定したら、やるべきことをやりましょう。まだ、学校行事等が入りますので、きついこともあるでしょう。でも、必要最小限はがんばって継続しましょう。例えば、LEOの授業は休まない。単語テスト・感じテストは満点をねらう。うまくなくてもかまわないから小論文は提出する。返却されたものをリライトしてみる。たくさんの科目に手を出していなければ、がんばれるのではないでしょうか。

以上のことができた人が成功しています。目標を定めて自分に合った受験勉強を効率良くできた人の結果は素晴らしいものです(座談会に出席してくれた生徒の話は参考になると思いますよ)。苦手な日本語も継続してコツコツ勉強した人は、小論文が入った入試にも成功しました(一般生は小論文の勉強を始めるのがどうしても遅くなります。年明けてからの人もいますので、十分な練習ができているわけではないのです)。

 反面、上の5ポイントのいくつかが欠けた場合、失敗の確率が高くなります。賢く努力することが大切です。

 第一志望校に合格するためのアドバイス
1. 早く受験意識をもつ(これは当然ですね。第一歩です。)

2. 聞く耳を持つ(自分のイメージで、こうだと決め付けて受験勉強を始める人がいますが、それが良い選択であればいいのですが、そうでなかった場合、致命傷になりかねません。人の意見にも耳を傾けて冷静に考え判断しましょう。)

3. 少しは苦労しよう(英語で決めればいいやという人もいますが、日本語も逃げずにがんばってほしいですね。大学入学後に、小論文や現代文をやっていて良かったと言ってくれる人がいます。本当にそう思います。社会人になると一層それを感じることでしょう。また、日本語を勉強することで受験校も確実に増えます。例えば、慶應SFCなど、すばらしい大学にも挑戦できるのですから。この苦労は価値がありますよ。)

4. 継続は力なり(コメントをつける必要なし)

 2005年度も、とてもよい生徒たちに恵まれました。授業をやっていて楽しいことの方が多かったですね。テキストの題材探しや、添削、志望理由書作成補助などはかなり大変でしたが、一生懸命やってくれるのでがんばれたと思います。生徒たちに感謝したいですね。人数が少ないので、ほとんどの生徒をつかめましたし、対話もできました。みんなの成長を期待しています。

 2006年度がスタートしました。2005年度以上に生徒の力になりたいと思います。すでに春期講習も始まり、やる気のある生徒を見てこんな気になってます。

[  2005/04/01 11:04  ]   [    Diary  ]  ▲ TOP ▲